もくじ
ネガティブな自己分析を披露していませんか?
「わたしは○○が苦手なので・・・」
「わたしこういうところが弱いので・・・」
「私トロイので・・・」
女性の相談を受けていると、上記のようなネガティブな自己分析発言をよく聞きます。
わたしにとってはどうでもいい、魅力のかけらもない情報なんだけど、
どうしてわざわざ自分を下げる分析をするのだろうか。(少しキツイですがあえて言わせてください。。)
高校生が言うならまだわかるけど、
いい大人がこの発言をするのは、
いままで、【本当の自分】と向き合えていない証拠です。
本質的な部分で自分に向き合うことをしてこなかったのではないでしょうか。
日本の教育で培ったものは、<ご機嫌うかがい>という病
でも、それも仕方のないことで、
わたしたちは、幼少期から、保育園や幼稚園、小学校、中学校・・・
と社会性をつける訓練を受けてきました。
その中で賢いわたしたちは学んでしまったのです。
空気読んで嫌われないようにする方法を。
しかも、心の奥深くにコビリつかせています。
・周りにどう評価されるか。
・自分がどう見られているか。
未だにそんなことばかり気にして、
人の【ご機嫌うかがい】ばかりしている人は注意が必要です。
夫婦カウンセリングをしていても、
「私は夫の機嫌が保たれるように、日々努力してきた」
なんていう人は少なくないです。
だけど、媚びないとやっていけないパートナーシップや人間関係なんて不健全だと思いませんか?
あたかも人のために自分を犠牲にしてがんばってきたように聞こえるけど、本当にそうでしょうか?
本当に夫のため、こどものためなんでしょうか?
甲斐甲斐しい妻を演じることで得てきたものがあるはずなのです。
人のせいにする癖は、自分と向き合ってきていない現れ
こう言うと、
「いやいや、向き合ってきましたよ!」
なんていう人がいるかもしれません。
そういう人が好きなのは、
* 引き寄せ
* 自分を好きになる
* ご自愛
* 自分を満たす
とかいうエゴな向き合い方。
でも向き合っている ”それ” は、本当の自分なのか一度考えてみてほしいのです。
人間みんなエゴな生き物だし、みんな自分が可愛い。
それはわたしも含めて仕方ないことだけど、
できれば、自分が自分が・・・という世界からは抜け出したいです。
だって、「すべてに感謝」とか言いながら、
引き寄せ法則の好きな、幸せそうに見えないエゴなおばさんをみていると、
正直、表面的な上滑り感がぬぐえないのです。
自分の意見ばっかりしゃべって、認められたくて必死。
わたしたちが目指すのはそこではないはず。
必要なのは自分の【本当の】内面と向き合うこと
人は他者との関係でこそ、幸せを感じられる生き物。
だから、他者がイレギュラーに介在してきたときに、
すぐにバランスを崩してしまうのが、エゴの限界だと思うのです。
自分だけでは完結しない出来事が世の中には多すぎます。
でも、自分にフォーカスして生きてるエゴな人は、気に入らないことがあったときに、
ヒステリックに、怒ったり、泣いたり、嘆願したりしてくきます。
感情をコントロールせずに、他人をはけ口に使ってくる。
これが【ありのままの自分】とか言って。
自分を正当化して、人のエネルギーを奪ってることに気付いていないのです。
このように、感情のコントロールができないのは、本当の自分と向き合えていないことの現れにほかなりません。
向き合ってるとしたら、殻を被った自分。
なぜなら、ヒステリックに感情に出てしまうのは、自分の内面と外面が一致していないから。
【思ってること】と、【言ってること】や【やってること】がズレてる。
向き合う先が間違ってるから、本当の思いがわからない。
だから、【思い】と【言動】が一致しないくて苦しい。
自分と向き合うってしんどいこと
言うのは簡単だけど、自分の内面と向き合うってしんどいことです。
だって葛藤の連続だから。
世間体や、常識、周りの意見と反することも多い。
いままで自分がしてきたことを否定することにもなってしまうかもしれない。
だから耐えられずに避けてしまう人が多い。
でも、それだと、ずっと内面と外面がズレて苦しい人生を送ってしまう。
人の顔色を伺っていつもエネルギー不足な状態で生きることになる。
向き合っても、向き合わなくてもしんどい道が待っています。
それでも、内なる自分と向き合おう
「内なる自分と向き合う」なんて、宗教染みてない?
と思った人は、いい感覚をしているかもしれない。
仏教、神道、ヒンズー教、キリスト教・・・
確かにいろんなところで言われています。
華道、茶道、書道、武道、カンフーや自己啓発でも言われるのは、
根本に宗教的な考え方が流れているから。
だって、宗教って人が生きるために作ってきた教養でもありますから。
わたしみたいに特定の信仰がなくても、宗教は学ぶ価値があるロングセラーコンテンツ。
話がずれてしまいました。。
自分と向き合うことはしんどいけれど、抜けた先に幸せがあります。
それを悟りというのか、ニルバーナというのか、回心というのか、
スピリチュアルというのか、空というのか、解脱というのか、アートマンというのかはさておき、
昔の偉いとされてる人がこぞって良いことあるよって言っています。
ということで、以下、自分との向き合い方のヒントを示しすので、参考にしてみてください。
自分との向き合い方3ステップ
1 本当の自分がわからないことに気づく
本当の自分がわからない。
もしくは見失ってるのかもしれない。
まずは、そのことに単純に気づいてみましょう。
自分の本当のところに向き合うのはそれから。
2 なぜそう思うのかを自分に問いかけてみる
日々の暮らしや、仕事を通して、自分と向き合う癖を付けていく。
コツは、どうしてこう思ったのか?どうしてこれをしてるのか?
と矢印を自分に向けてあげること。
例えば、「結婚したい」と思ったら、それはなぜそう思ったのかと自分に問いかけてみるのです。
なぜ?→ 「ただ寂しいだけ」
「まわりに流されてるだけ」
「周りに認めてほしいだけ」
「仕事に疲れただけ」
「すごいと思われたいだけ」
「母が望んでいるだけ」
かもしれない。
そんな自分が嫌でも、これを繰り返す。
自分のホントの本音の部分。
そしたら、自分の親子関係に問題があることや、
小さなころの失敗が尾を引いてることに気付くかもしれません。
3 自分が本当に求めているものを感じる
誰にも見られずに、誰にも文句言われずに、何の心配もせずに、
好きに人生をつくっていけるなら、
どんな人生を選んでいきたいのか。
本当に求めているものは、今まで苦労してきたこと、辛かったこと、・・・の中に隠れてるかもしれない。
人生に無駄はないと仮定するなら、その苦しかった時期にはどんな意味があったのか?
学んだことは何なのか?
そこにヒントがありそうです。
自分の真ん中で求めているものって何なのか。
生まれたての真っ白な心でみつめてみてください。
自分を好きになることは不要
別にわざわざ自分を好きにならなくてもいいのです。
良いことが出てきても、悪いことが出てきても、
「あぁ、わたしなんだな。」
ってそのままの自分を認識するだけでずいぶん世界の見方は変わります。
そもそも、良い悪いなんて自分で判断しているだけ。
わたしも、「わたし大好き!」とか思ったことありません。笑
ただ、自分はこんなもんだと、等身大で受け入れることができたら、
自分の軸ができる。
その軸をしなやかに強くしていくことが、自分らしい人生を生きるコツです。
だから、自分と向き合うことが大切。
そうしないと、どこに軸がどこにあるかわからないままだから。
そもそも軸じゃなくて、球かもしれないし、球から伸びる棒かもしれない。
見たことないからわからないけど、折れない素材でできてるといいですね。
残念なことに、わたしたちはちっぽけな存在なのだ
向き合ったらこんなことに気付いたりします。
自分なんて所詮、悪いやつで良いやつだって。
自分の存在なんて、宇宙の歴史から見たら確認するのが不可能なくらいちっぽけなんだって。
自分と同じように、世の中も人間も、キレイなところも、汚いところもある。
でも、どっちも見ていかないとホントのところにはたどり着けなくて不安定。
だから、それでもホントの自分と向き合って、
自分の本当に求めていることを見つけ出して
実現していく。
それが「自分らしく生きる」ということ。
まとめ
時間をかけて作ってきた殻を破って、
本当の意味で自分を活かし、
周りと繋がっていく。
それが自分の軸になります。
自分の軸ができると、キレイごともキタナごとも、
ドロっとしたものもサラリとしたものも、受け入れられるようになります。
そうやって自分の人生が選んでいけるようになると、
他人にも寛容になれるし、
他人に嫌われることを恐れることもなくなります。
そして、誰かのために純粋にがんばれる自分に出逢えます。
あなたが心の真ん中で求めていることは何でしたか?
自分と向き合ってみること、意識してみてくださいね。
感情が乱れないだけでも、安定した幸せを感じられる自分は手に入れられるから。
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