淡麗女子の美学

「女性らしさ」や「女子力」という不自由

最近不思議に思うのは、
*自分軸で生きよう、
*自分基準を知ろう、
*執着を捨てよう

なんてことを声高々に言っている人が、

「女子力を高めよう」とか、
「女性らしく生きる」とか、
「わたしである前に女であることに気づこう」とか言ってること。

・・・変じゃない?

だいたい「女らしさ」「女子力」っていう
社会や世間や性別役割分業なんていう文化が決めてきた
【ザ・他人基準】に囚われてる時点で、
すっごい不自由なんだろうなって端から見てると思ったり。

それを基準に他人をジャッジして、自分もジャッジして縛り付けて、苦しくないのかな?

女性らしいからあなたが好きって言われて嬉しい?
女子力高いから素敵って言われて興奮する?

わたしは、あなただからあなたが好きって言われた方が嬉しい。

本音で生きてるありのままの君が好きって言われた方がよくない?

女である前に、わたしはわたし。

別にジェンダーレスを目指せって言ってる訳ではない。

ただ、本音の自分で勝負できないって辛いんじゃないかな。

女の子が木登りしたらお転婆って言われるのも、その名残。

自然体でいたら、木登りしてる君が好きって言ってくれる人は寄ってくるのに、
何重にも世間の基準を身にまとって、しんどくなってる。

そして、いっぱい他人基準を着込んだわたしたちに現れる、
友だちも、恋人も、配偶者も、誰も彼も
「わたしのことなんてわかってくれない」と不幸ぶる。

これ最悪のループ。
自分の蒔いた種なのに。

女性らしさより、自分がしたいことや自分の在り方を追求した方が
ずっとずっと素直に、ありのままでいられるのに。

そしたら、自分にぴったりのヒトやモノやコトが現れる。

だから、女である前に、自分を大切にしよう。
そしたら、わたしたちはもっと自由に生きられる。

「淡麗女子」はわたしたち基準。

昔から縛りの多い女性に生まれたわたしたちを解放したくて名付けたアイコン。

女性であることを期待されて、期待に応えようとして生きてきた。
それは、男性も同じなんだけどね。

ただ、女性や男性っていうのは、生物的な便宜上の分類であって、
しなやかだから女、論理的だから男って訳ではない。

現に、しなやかなで上品な男性もいるし、
ロジカルな女性だっている。

実際にわたしのことを、女らしいという人もいれば、男らしいという人もいる。
感性豊かという人もいれば、共感力がないという人もいる。

それでいい。
それがナチュラル。

他人の判断基準とわたしの基準は別だから。
まぁ、言ってる人の鏡になってるだけだとも言えるけどね。

だから、
美人じゃないとか、
おおざっぱとか、
料理できないとか、
協調性がないとか、

そんなの、人間的特徴の一つにしか過ぎないんだから、
縛られないで生きたらいい。

そう生きることを自分で許すだけでいいんだから。

女性らしくという画一的な基準はもうお腹いっぱい。
いつの時代の話や。

みんな呪縛から解き放たれたら、もっと楽しいと思わない?

かく言うわたしも、縛られてた。
女だからおとなしくいないといけない。
女だから結婚したら料理作らないといけない。
女だからリーダーをサポートする立場でいないといけないって。

でも、それらができるのって、ただのわたしの特徴だって気づいた。
ただそれが得意だっただけ。
女性であるか否かは別として。

魅力のためには女らしくいないと、
女子力あげないとって、もうしんどいから、
そんなしょっぱいことやめて、勇気をもって自分に自由をあげよう。

女らしくは、わたしらしくとは違うんだから。

あなたは、「女性らしく」に縛られてた経験ありますか?

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千裕

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